分かれ道ごとに枝が折られている。
それを頼りに道を進む。
月のない夜で、空は洋墨を垂らしたかのように黒々としていた。
カンテラの明かりを掲げる。
枝が折られている方に曲がる。
ゴールまであと少しのはずだ。
目的地までの道のりがもどかしくて、舗装されていない道を走る。
次に会う約束はしなかった。
そんなものは二人には必要がないものだと思っていたから。
自然に別れ、音沙汰を聞くことがなくなった。
そこで初めて、後悔をした。
携帯電話に残るアドレスにかけるのはためらわれた。
何があったわけじゃない。
どうしているのか、気になっているだけ。
連日の勤務で体が限界にきていた。
目を瞑れば眠れそうな勢いで疲れていた。
けれども電車の座席は埋まっていた。
仕方なしにつり革に掴まる。
ゆらゆらと揺れて気持ちが悪い。
すると目の前の学生がするりと立ち上がった。
「良かったらどうぞ」と少年は言う。
「ありがとう」と礼を言った
それは眠る前のおまじない。
そっと、手のひらを触れ合わせる。
大きな手が温かかった。
今日あったことを話しながら、眠りの海に揺蕩う。
完全に眠りにつくまで、温もりは離れない。
だから安心して、目を閉じられる。
次に目を開くときは独りでも、孤独ではない。
大丈夫だと言い聞かせる
気がつけば目で追うようになっていた。
心の片隅に住み始めた。
逢えない時は何をしているのだろうと考えるようになっていた。
一緒にいられるときは心が弾んだ。
時間が足りないと思うほど、特別になっていた。
それは一方的で苛立った。
想うよりも想ってもらえない、その辛さを知った。
「おはよう」玄関先で元気よく少女が言った。
「おはよう」と少年は欠伸を噛み殺しながら言った。
「今日も良い天気だね」少女は上目遣いで、自分の指を握り締める。
見ているこちらが痛々しく思えるほどにぎゅっと拳が握られる。
いつの間にか、手を繋いで歩くということをしなくなった
少女の双眸は深海のように深く凪いでいた。
景色をただ写しているだけの眼がこちらを見ることはない。
少女に無視を続けられてムキになる。
少年は話しかける。
ようやく少女の眼が少年を見た。
そこにはどんな感情も浮かんではいない。
強いていえば無関心。
悲しみも喜びも写ってはいない
並んで歩くのも嫌だった。
けれども学校も同じで、お隣さんで、帰宅部となれば、下校時間は一緒になる。
どちらかに恋人が出来れば別なのだろうが、そんな甘い話は今のところなかった。
幼なじみが手を差し出してきた。
嫌々ながらも、指先をぎゅっと握る。
わがままに付き合うのも辛い。
それは水面に似ている。
知らなければ穏やかな日々をおくれる。
湖の上、優雅に泳ぐ水鳥たちのように。
太陽に向けて咲く蓮の花のように。
水面下がどれほど濁っていようが、覗きこんでも分からない。
好奇心に蓋をしてしまえばそれでおしまいだ。
知らなくても良いことが存在している。
朝、目覚めたら独りぼっちだった。
朝といってももう昼に近いぐらいの時間だったから仕方がないのかもしれない。
少女は目をこすりながら居間に向かう。
テーブルの上には置手紙と朝ご飯が用意されていた。
青年は出かけてしまったようだ。
音もなく外出したのは少女を気遣ったからだろう
まだ桜の蕾が堅い頃だった。
「いつ、咲くんだろうね」と彼女が楽しそうに話しかけてきたことを覚えている。
空を見上げて歩く姿は幼子のように危うかった。
手を差し出すと嬉しそうに、指先を軽く握ってきた。
地面に縫い付けられた二つの影が一つになった。
早く桜が咲いて欲しかった。
予定は未定とはよく言ったものだ。
未来のことは神様だって決められない。
彼の携帯電話が鳴ったのが始まりだった。
今日は丸一日お休みなはずだった。
急な仕事が入った。
嫌なパターンだった。
彼は謝罪をする。
私は泣き顔で、手のひらを軽く握る。
わがままを言ってしまわないように。
花見と言っても桜ばかりではない。
春から夏にかけてたくさんの花が咲く。
ひとつひとつ観に行っていれば当然、毎週出かけているようなものだった。
ランチバスケットを両手に抱えた少女はニコニコとしていた。
それを横目で見ながら情報誌を開く。
こちらまでニコニコが伝染しそうだった
ぽとりと零れた涙で手紙の文字が滲んだ。
次の休暇でも帰れないことを謝罪する文面だった。
手紙の主は誠実にも理由をきちんと書き、そのうえで自分が悪いと文字を綴っている。
だからこそ余計に涙が零れた。
時間と心を盗んだ手紙を折りたたむ。
大丈夫だと返事をするために涙を拭った。