暑さがすべての思考を持っていくようだった。
蝉時雨がする。
少女が泣き顔で、少年の手のひらに自分のそれを触れ合わせる。
汗ばんだそれは奇妙なほど安心感を与えた。
このまま繋いでいてもいいかも、と少年に思わせるほどに。
何故、少女は泣いているのだろう。
だるいような暑さが思考を止める。
縁側で二人そろって空を見上げていた。
夏至が過ぎ、暑い日もあったが夕空は鮮やかなものだった。
君は一等星を指し示す。
その仕草は自然なものだったけれども、僕をドキリとさせた。
意識しだすと緊張してきた。
君と見る空は貴重なものなものなのに、俯いてしまう。
君は「どうしたの?」と訊く。
先ほどから少女は無我夢中で目玉焼きを作っている。
何枚目だろうか。
冷蔵庫の卵を使い尽くすつもりだろうか。
「もう、そろそろいいんじゃないか?」と青年は言った。
「完璧な目玉焼きまで、あと一歩なのです」フライパン片手に少女は言った。
怒りが混じった声は青年を黙らせるのに充分だった。
少女は嬉しそうに、少年の両手のひらを指先でつつく。
その様子に少年は不満を覚えた。
別れなのに、どうして少女は笑っていられるのだろう。
少年は寂しい思い出いっぱいなのに。
お目付け役がいなくなって解放された気分なのだろうか。
確かに明日は今日の続きだけれども、逢えないかもしれない。
「君が好きでした」僕は静かに告げた。
「過去形?」君は無垢な瞳で僕を見つめる。
僕はゆっくりと瞬きをして、微笑みを作る。
「過去形だよ」僕は認める。
「あなたと恋をしてみたかった」君も弱々しく笑う。
僕と君の間に開いた溝に過去の恋心を囁きあう。
どうしたって結実する恋ではなかった。
外は雨が降っているから、トランプで遊んでいた。
先から負け続き。
ポーカーをしていても、七並べをしていても、大貧民をしていても。
「顔に出やすいんだよ」と君が笑う。
最後にじじ抜きをすることになった。
奇跡が起きたのだろうか。
一番に手札がなくなった。
「ざまぁみろ」僕は言い放った。
波打ち際で漂白された枝を拾う。
流木というものだろう。
遥か彼方からやってきた枝には、どんな物語があるのだろうか。
拾ったばかりの枝で砂浜に君の名前を書く。
寄せては返す波に消されてしまうぐらいがちょうどいい。
僕の名前は書けなかった。
海と同じ味の液体を目から滲ませる。
波音を聞く。
面倒なことになった、と青年は思った。
先ほどから少女が無理矢理、胸に腕を触れ合わせる。
意識しなくても、柔らかな感触が腕に触れる。
何度、ためいきを飲みこんだのだろうか。
少女の方は全く意識をしていないから、どう切り出したらいいか困った。
無下に腕を振り払うわけにはいかないだろう。
君は口癖のように「幸せになりたい」と言う。
僕に『幸せにしてほしい』とは言わない。
君は僕をよく知っている。
二人で手を繋いで逃げたところで、現状は変わらない。
君のために幸せを用意してあげたいけれども、僕にはそんな力がなかった。
そして、君は霧のように姿を消した。
呟きが木霊する。
「なんて顔をしているんだい?」できるだけ優しい口調で声をかける。
うずくまって立てない君の横に座る。
僕より小さな体は、僕よりいっぱい痛みを感じるのだろうか。
小さな体をさらに小さくして座る君の頬には涙の跡があった。
目には見えない心の奥は傷だらけだろう。
僕は背中を優しく叩いた。
『サヨナラ』を口にするのは得意だった。
ほんの少し目を細めて、口角を上げる。
それで笑顔の完成だ。
それで『サヨナラ』を言う相手も笑顔になる。
『また、明日』と手を振り、別れ道を進む。
それだけのことだから容易くできた。
今日も夕陽が眩しい。
目に沁みるような光に背を向けた。
僕は笑顔の君が好き。
だから、泣き止んでよ。
その涙が僕のためなのかもしれないけれど。
ちっとも嬉しくない。
君にはいつでも笑っていてほしいんだ。
たとえ、その笑顔が見られない場所に僕がいたとしても。
君の涙が早く枯れるように、僕は君の頭を優しく撫でる。
僕にはこれぐらいしかできない。
白金色の頭髪の少年と同じ空気を吸っている。
そう思っただけでも頭にくる。
少年はこちらのことなんて意識もしていないだろう。
まるで機械のように淡々としている。
もしかしてどこかの科学者が作り出した精巧な機械だと言われる方が納得ができる。
テスト用紙が配られた。
少女は気合を入れる。
公園デートは刺激が少ない。
付き合ったばかりの二人には相応しいのかもしれないけれども。
僕はほんの少しばかり退屈していた。
隣に君がいなければ、ため息の一つでもついていたところだろう。
君が上目遣いで。僕の指先を両手で包む。
「あたたかいね」君は笑う。
暖を取るほど寒くはないはずだ。